総括をすると今年が終わった気になってしまう。
何もできなかった今年をまだ終わらせたくない。
という訳で五ヶ月ぶりの雑記を。
・12/22
応募しようとしていた映像翻訳の求人が予定より早く募集を停止した。
時間をかけて履歴書を書いていたのが仇となった。
急いては事を仕損じるとも言うし、善は急げとも言う。
急がば回れとも言うし思い立ったが吉日とも言う。
こうなる運命だったのだと、思いの外さっぱり諦められてはいるが、はてさて、また先が見えなくなったぞぉ。
・12/23
休日だったが人が足らんと言う。
仕方が無いので出勤した。
珍しく葛飾区と北区辺りの配送だった。
小さい頃は北区で暮らしていたため、下町らしい商店街や路面電車には懐かしい気分にさせられた。
商店街での作業中、売る気のないレイアウトで店頭に置かれていたパイナップルの缶詰が(なんでだか)どうしても気になったので買うことにした。
店主と思われるやる気のないおっちゃんがびっくりしていた。商店やってんのに物買われてびっくりするなよ。
お金を出すとおっちゃんが「ありがとうね!」とびっくりするほど気持ち良くお礼を言ってくれた。缶詰一個では足りないなぁと思い、思わずレジ横のすあまも買ってしまった。
・といった感じで友人に日記を送り付けている。三日坊主になるまいとしているが師も走る月なのでどうも忙しく手が回らない。もしやこの言い訳をしている状態こそが三日坊主ということなのか。
・高校からの友人達と久しぶりに顔を合わせた。
なんの目的もなしに集まって駄弁ってのつもりだったのが友人達は誕生日の近い俺を祝う準備をしてくれていて、ケーキとプレゼントまで貰ってしまった。この時期に集まると毎回なんかしらしてくれるので申し訳なさとありがたさでいっぱいです。サプライズしてくれようとしていたのにタイミング悪く廊下に出てしまったのは純粋に申し訳ない。
高校生の時に貰ったドクロの置物は部屋の隅で今も俺を見つめている。歳をとったなぁと思いながら、貰ったビール券を俺は見つめている。
・久しぶりに馬に乗った。上の画像は、甘えて顔を擦りつけているのかと思ったら顔が痒いだけだったと判明した瞬間の写真だ。馬の感情とは関係のないフレーメン反応という現象なのだが嘲笑っているようにしか見えない。というかこの馬、トレッキング中に草を食べ出すわ、立ったまま寝るわで完全に俺を見下していた。馬がアホで可愛いという話をしたら、「さすが馬鹿の一角を担っているだけある」と言ってきた佐々木はやはり天才。
ちなみにこのとき俺が来ている服は仕事用の作業着。馬面を擦り付けられてだいぶ馬臭いが翌日そのまま出勤した。
馬は良い。すごく好きだ。
あの物悲しそうな目、しなやかな筋肉、長い足、ぶよぶよの顎、隙あらば草を食む所、人語や心情を理解する賢さ、そして人を乗せる事を全く何とも思っていないような姿、その全てが好きだ。
初めて馬に乗ったのは高校三年、ニュージーランドにいた頃だ。だだっ広い庭(獨協大学の半分くらいはあった)で暇つぶしにひたすら乗っていた。俺の中でニュージーランドでの生活の象徴が馬である。ニュージーランドでの生活は俺の人生観に大きな影響を与えた。留学で人生が変わったなんて陳腐な表現だが過言ではない。これだけで一つ記事が書けそうなのでまたの機会にするが、俺はあれ以来変な人になった。あれ以前も変だったろと突っ込むのはやめろ。
・願いと呪いは紙一重だなぁとこの時期は思う。相手を想い五寸釘を打つ行為も願いの範疇だし当たり前なのだがそういう話ではない。。
クリスマス、誕生日、新年と、何かと願い事だとか抱負、祈りなどを意識することが多い。
強すぎる想いはそれ自体が他者向けか自分向けなのかは問わず対象を苦しめる。簡単に言えばプレッシャーに圧殺されうるということだ。何事にも何人にも大して期待も願いも込めない方が結果的に生きやすいのだと思う。
・プレゼントで貰ったジェラートピケのパジャマの肌触りがとても良いので寝坊してしまう。
・人間は機械に頼りすぎてどんどん弱く、そして愚かになっていく。加湿器を一日焚き忘れただけでやられた俺の喉がそれを証明した。
・はやくお雑煮が食べたい。
・お年玉をあげる歳になったことは認めない。