俳句が好きだ。
最初は知識人ぶってイキっていただけだったがいつの間にか本当に好きになっていた。
未だに大学の友人とおふざけでエグい下ネタの句を詠み合ったりしている。お前の事だよ佐々木。
いつの間にかではないな。
配送業についてからだ。
四季折々の風景眺め放題の仕事故、共感できる一句に出会いやすいからだろうと思う。
特に花についての句が好きだ。お気に入りを何句か挙げたい。
影は滝 空は花なり 糸桜
手折らるる 人に薫るや 梅の花
朝顔に つるべとられて もらい水
散れば咲け 散れば咲きして 百日紅 加賀千代女
春の夜は 桜に明けて しまひけり 松尾芭蕉
百日紅(さるすべりって読むよ、読めた?)と水草の句は一押しのバンド、ヨルシカの曲にも引用されている。
ヨルシカ - 雨とカプチーノ(Official Video)
花々を見てふと頭にフレーズが浮かぶ感覚は気持ちがいいものだよ。
本当はもっと早く書こうと思っていた題材だった。
春、秩父へ配送に行ったとき、雨上がりの遠くの山から湯気が立っていた。
なんでもない景色ではあるのだが
「春の山のうしろから烟が出だした」
という尾崎放哉の句を思い出した。それ以来この句はお気に入りであり、記事を春真っ盛りに間に合わせたかったのだが、留学の度重なる延期でメンタルがやられっぱなしだったため筆が進まなかった(ブログで筆という表現をしていいのだろうか)。そしてこの句もヨルシカの最新曲に引用されている。
なんだか横取りされたようで悔しいような、同じ句を知っていて嬉しいような気持ちであった。
ようやく書く気になったのは紫陽花が綺麗だったから。花弁が四枚だから別名は四片。ヨヒラと読む。
紫陽花といえば正岡子規の
「紫陽花や 昨日の誠 今日の嘘」
という一句だろう。
日々変わる紫陽花の花弁の色を「誠・嘘」と表現したことには感服する。
ブログ書こう、この本読もう、勉強しよう、部屋掃除しよう、ちゃんと起きよう、スロット辞めよう……明日を迎える度に嘘になっていく今日の誠をいくつも重ねて、気づけば散りつつある紫陽花。流石にもう腐っている場合じゃないと勝手に紫陽花で、この一句で奮いたった。というより焦った。
さて、先に挙げた尾崎放哉だが、
「咳をしてもひとり」が有名。
傲慢でアル中で人を嫌っていた男が晩年に病床で詠んだ句には寂しさと、人に理解されなかったことへの恨みを感じる。
同じく自由律俳句の俳人、種田山頭火。放哉と同じく家柄も学歴もあったにもかかわらず世捨て人のような生活をしていた。
そんな彼が晩年に作り上げた自選句集には、放哉の句に寄り添ってと前置きされたこんな句がある。
「鴉啼いてわたしもひとり」
ただの一文字にこれほどまでに想いを、意味を感じたことはない。
最近知ったことの受け売りのようなものだがとても好きな話なので書きたかった。
一時狂ったように聴いていた曲がある。
自分が楽に生きたいから今日も逃げ続けたんだろ
並にできないから 人になれないから
それが言い訳だろうとほっといてくれよ
という詩がかつてメンヘラループ地獄にいた自分に刺さり、一人で凹んで気持ちよくなったりしていた。書いててキツい。書いてる時に当時の戦友からLINEが来て尚キツかった。お前の事だよ森山。当時の話はいつか書く。
この歌には先に挙げた「紫陽花・咳・鴉」の三句が引用されていることを思い出した。
タイトルは「ヨヒラ」。
仕事終わりの帰路で久しぶりに聴いた。自分の変化もあるだろうが、たった一文字に込められた意味を知るだけでずいぶん違う意味の曲に感じた。
夜霞にぼやけた街灯がぼんやりと紫陽花を照らしていた。滅多に味わうことのないだろう贅沢な体験をした夜だった。
この曲の作詞作曲者はn-buna、ヨルシカの作詞作曲者その人である。
結局何が言いたいかって?古参アピールと布教だよ。
追記
この季節はこういう空が見られるから良い。明日も空が綺麗だといいなと思うだけ。