往ぬ
15年前、まだ小学二年生で恐竜学者になりたいとほざいていた頃、彼女が家に来た。
この歳のガキにありがちな世話するから犬飼いたいコールに親父が応えてペットショップでチワックスを買ってくれることになった。
次の日に親父が車を出して向かった先は謎の集合団地。老夫婦がニコニコしながら子犬……と言うには少しデカめな牛柄の犬を差し出してきた。
どうやら親父が街中で飼い主募集の広告をみて即決してきたらしい。息子の意見ガン無視で親父らしい。
もうこれ以上大きくならないから~というお婆さん、大嘘つきであった。数ヶ月で通りすがりのJKにうわっ!でかい犬!!と言われるほどには大きくなった。
彼女は山梨の山中にて数ヶ月サバイバルの末、三匹のきょうだいたちと保護されたらしい。なので雑種には違いないのだが、何犬の血が入っているのかは不明だった。たぶんダルメシアンは入ってる。
強かな犬だった。
近所の公園に何故かいた野生のニワトリを追いかけ回して首元を一撃、得意げに持って帰ってきたらしい。(最近知った)
川に連れていった時、穴を掘りまくりアシナガバチに顔を刺されパンパンに腫れた。30分で完全回復し何事も無かったかのようにまた穴を掘り始めた。懲りない犬だった。
一週間脱走したこともあった。捜索中、変な柄のデカい犬がキウイ畑でキウイを食ってた!って近所のガキが話してた。やっぱ山育ちはちげえわ。
発見して追いかけ回しても余裕そうに、バカにしたような顔で煽った挙句茂みに消え去った。
彼女はデカい肉をくれる祖母のことが大好きだった。それを利用して脱走犬捕獲作戦用最終兵器として祖母を召喚。捜索に出るや否や、祖母の匂いを嗅ぎつけた彼女ははち切れんばかりにしっぽを振りノコノコ茂みから出てきた。探すまでもなかった。
夜に散歩に出たら、自販機にへばりついてたカナブンに喧嘩売って鼻に張り付かれて負けたこともあった。
ビールを水に混ぜると少し酔っ払ったように転げ回ってた。
キャンプに行った時はいつも朝露に濡れるであろう草の上で何も気にせずに寝ていた。案の定朝はびちょ濡れ。
ユニークな柄で、スリムで立派な犬だった。15年、犬にしては長生きだった。自分の人生の半分以上連れ添った家族だった。
大晦日、親父に抱かれながら痙攣する彼女を見ていた。同時に初めて親父が泣くのを見た。自分は泣けなかった。ここ数年アパシー気味である自分も彼女の死に際には泣けると思っていた。少し期待していた。自分でも嫌になる。ただただ、楽にしてやりたいと思いながら鼻先を撫でていた。そこを撫でるといつも気持ち良さそうに、眠そうにしていたから。
呼吸が止まった。もうマッサージしないからねと言う親父。心臓は動いていた。人工呼吸でもすればまだ生きられたけど延命はやめた。口からだらんと垂れた赤い舌が常温に晒し続けた肉みたいな色になっていった。白黒の毛にあの赤はよく映えていたのに。
逝ったときはBGMに紅白のKISSが流れていた。奴らも白黒だが不適にも程がある。
毎年元日には親父の実家に行っている。
今回は母と彼女を置いて親父と自分の二人で行き、すぐに帰ってくる予定だった。
きっと家族に迷惑をかけないようにとこのタイミングだったんだと思う。
そして彼女の死を準行方不明だった双子の弟に伝えると翌朝には我が家に飛び帰ってきた。SMSすげぇわ。約三年ぶりの再会で、ナスじゃないとは言いきれない髪色になっていた。両親は犬の死の悲しさを数年ぶりの息子との再会の嬉しさで充分に埋められていたように自分には見えた。やはり彼女が引き寄せたのだろう。
涙こそ出ないがとんでもなく苦しい。
小学生の頃、課題図書の盲導犬クイールの本で号泣してから犬がテーマの作品だけは絶対手をつけないようにしてきた。愛犬を殺されて殺人マシンになったJohn Wichですら観ていてすごく辛かった。そんな自分には受け止めきれない。
廊下を通る度に彼女がいた玄関を見てはやたら広く感じて上手く息ができなくなる。
まだ部屋に落ちている毛の一本のせいで何も手につかなくなる。
何も忘れたくないからこうして書いてるわけだけど、あの手触りも鳴き声も少しずつ忘れていってしまうのだろうか。死別とはこういうものなのか。
忘れることも苦しいし、思い出しても苦しい。忘れていたことすら忘れていくだろうし、またそれを思い出してどんどん苦しくなるだろう。
犬は絶対に裏切らないけど絶対に先に逝く。もう二度と犬を飼うことはできないと思う。
ただただ苦しいだけだけど、今は彼女が天国でお前は地獄だろ!って言われながらニワトリにどつき回されていないことを願う。
ちょっと短くなった尻尾に気づくかな。親父が形見に先っぽだけ切ってたよ。ごめんね。身は切ってないから安心してね。